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ずしていくので、すごい緊張感がある。周囲には、作業服を着た造船所の人たちがぎっしり並び固唾を飲んで見守っているんです。その人たちの感動が伝わってくるわけで、男の仕事だなと思って私も感動しました。
私はそうした一番いい時期に佐世保にいて、翌年東京に転勤になりました。その年から佐世保の町は不況になったのですが、あの不況の中で保険関係がだめになるかと思ったら、皆さんたくましくやっておられます。
小島 昨年『海の日』を記念して『海』という展覧会が、こちらの安田火災東郷青児美術館で開催されだそうですね。
有吉 海に保険でご縁が深いこともあり、日本船主協会さんなどから当社の美術館に共催のご指名を頂いたことは、大変光栄に思っています。美術館のキュレーター(学芸員)も、大変いい仕事をさせていただいたと言っています。国内各地の美術館や個人が所蔵されている海に関する素晴らしい絵をお借りして大変グレードの高い美術展になりましたね。世界的な名画もたくさんありました。入場者は四十四日間で約十万人でしたね。

 

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小島 私は悲しくなると、よく海を見に行きます。海を見ると気持ちが大きくなりますね。
有吉 私も、波の音を聞きながらボーッと海を見ているのが好きです。地上の生物は海底の微生物から発達したそうで、祖先を懐かしむ気持ちがどこかにあるのかなと思います。人類にとってやはり海は故郷なのではないでしようか。

 

損害保険は海からやってきた

 

小島 ところで、損害保険はどういうきっかけで生まれたのですか。
有吉 そもそもの始まりは、紀元前に遡りますが、交易をする等で船出する貿易業者に当時の資本家が資金を貸与し、無事に帰ってきたら、業者が元金に利息をつけて資本家に支払う。しかし、事故に遭ったら、出したお金はあきらめる。こういう冒険貸借が保険の原型です。
船を仕立てて、どこか遠い国に産物をとりに行ったり交易をするために行く時、お金が必要でしょう。ですから、いろんな人が出資したわけです。途中で沈没したら、そのお金は締めなければならないから、賭けみたいなものです。保険とは逆で、無事に帰ってくると、配当をつけてお金を返しました。
十四世紀になって、イタリアで、事故に対する保険機能と金融の機能が分かれたのです。現在の保険機能の原型誕生です。さらに十六世紀後半になると、保険引受けの専門家が出てきました。イギリスの有名なロイズは十七世紀に人ってエドワード・ロイドが開いたコーヒー店での保険取引が発祥です。そこで海上保険の情報交換をするようになって、保険の引き受けが発達したのです。ですから、海上保険が損害保険の始まりといえるのです。
いまロイズは再保険も扱っています。いわば危険の分散で、例えば一般の損害保険会社が百億の保険を引き受けたら、二十億の危険は自社で持つが、残り八十億はロイズに再保険として出すのです。
小島 数年前、ロイズは非常に危険な保険を引き受けすぎて、破綻しかけたと聞いたことがありますが…。
有吉 一九八八年から一九九二年にかけてアスベスト公害やハリケーンなどの大災で大きな損失を受けたのです。アスベストは賠償保険で引き受けのため、引き受けてから何年か

 

 

 

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